「おっ、いけね・・・。」
「どうしたんですか、宍戸さん?」
隣で早々と着替えを始めていた長太郎は突然声を上げた俺に驚いたようにコチラを見た。
「いや、さっきどっかにタオルを置き忘れたみたいだ。」
「えっ?どうします?俺も探すの手伝いましょうか?」
「いや。場所はたぶんあそこだろうから、俺一人でも大丈夫だ。サンキューな。」
そう言うと俺はすぐに部室を出て、自慢の足でその場所に走った。
辿り着いた瞬間聞こえてきたのは女達の声。
視線に入ってきたのは、
「あいつ・・・・・確か今日新しく入ってきたマネージャーの・・・・・」
確か、。
そいつが、女達の嫌がらせを受けている所だった。
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8 -cerimonia d'apertura-
「し、宍戸君!!これは違うの!!」
「そう。彼が仕事をサボってたから注意してただけなの!」
女達が必死の形相で俺の元に走り迫ってくる。
「別に気にしちゃいねーから、さっさと行けよ。約束の時間に遅れたらそっちの方がヤベぇだろ?」
泣きそうな顔で、これでもかと思うほど接近してくる女達に俺はため息混じりに言った。
本当は気にしない訳無い。
自分のタオルを踏みつけられて、汚されて、「性格や外見が汚い」とまで何も感じ無い訳が無い。
けれど、胸を押し付けるように迫ってこられているそのウザさと、女達から漂うキツイ香水の匂いに俺は早くその呪縛から逃れたくて思わずそう言っていた。
俺の言葉に女達はハッとなって腕時計を見る。
「や、ヤバッ!早く行かないと・・・・・」
「ホントだ。ヤバイって。さん、あんなヤツほっといて早く行きましょ。」
「そうね。早く行くわよ!」
。
現在大勢いるマネージャーの中で最も必要とされている女であり、マネージャー達のリーダー的存在である。
向日や忍足はそれなりにこいつを気に入っているようで、結構頻繁にこいつを指名している。
跡部に関してはよく分からないが・・・・。
だが、俺はこの女は苦手だった。
というか、うちのマネージャー達のような女が苦手なのだ。
「宍戸君〜。」
そう。
この語尾を延ばすようなしゃべり方もウザったい。
先程までのに対する態度と打って変わって、媚びる様なその態度に俺は呆れながらも、ここでこいつを怒らせるとこいつを気に入っているレギュラー達から色々と文句を言われると思うと、下手な態度は出来ない。
「跡部には言わねぇから、さっさと行けよ。」
俺は引っ付いている女達を引き剥がすように手をひらひらさせ、『早く行け』という風に促す。
その言葉と、俺の態度にたちは安心したのか、肩を撫で下ろした。
「宍戸君ありがとう!」
「良いから早く行け。跡部達、待ってたぜ。」
俺のその言葉に女達は『そうだ!』と呟くように言うと、一目散にその場を後にしたのだった。
「ふぅ・・・・・」
やっと女達が離れてくれたことに俺は思わず息を漏らす。
女達の後姿を見送り、行ったのを確認すると、俺の視線は自然とテニス部唯一の男子マネージャーに向かった。
俺が声をかけた時だけ、少しこっちを見たが、今はすでに俺に背を向けてしゃがみ込んでいる。
俺からは背中しか見えない。
蹲っているの姿は泣いているように見えた。
「仕事・・・・・手伝ってやろうか?」
無意識に口から出た、言葉に俺は自分が言ったことなのに驚いてしまった。
普段の俺だったら、例え目の前に泣いてる人間がいようが、見て見ぬ振りをするだろう。
例え心の中では色々なことを感じていたとしても、それを口に出して言うことはかなり高い確率であり得ない。
俺には分かっているからだ。
喧嘩両成敗というが、言い争いにはお互いに言い分がある。
だったら、どちらも自分にとっての正解を持っているのだ。
ということは、俺がどちらかに慰めの言葉をかければ、俺は一方にとっては『優しい人間』としても、もう一方にとっては『偽善者』下手をすれば『敵』という風にとられるかもしれない。
みんなにとっての正しいこと、なんてないのだ。
それが俺は分かっているから何も言わない。
何も言わないということは間違いを犯さないということ。
間違いを犯さないということは誰を敵に回すこともなければ、誰からも責められる筋合いはないということ。
つまり、俺はどこまで行っても第三者でしかないのだ。
さっきのだって、苛められていたを庇った訳じゃない。
きっと、彼女たちが踏みつけたタオルが俺のものじゃなかったとしたら何も見なかったことにすると思う。
卑怯者だと言われても仕方が無いが、それが悪いことだと俺は決して思わない。
俺は強くない。
自分自身と周りの少数の、自分にとって大切な人を守るだけで精一杯なのだ。
そんな俺だから、驚いたのだ。
初対面の男に思わず、声をかけてしまったことに。
こいつに声をかけるということは、の味方をしたということ。
の味方をしたということは、こいつを嫌っている者達にとってはしてはいけないことをした、ということになってしまう。
そうすると、少なからず部活動に影響が出るだろう。
全く良いことが無いのだ。
なのに
何故、俺は今目の前の男に声をかけた?
という人間がどういう人間なのかなんて俺はまだ良く知らない。
が、同じ正レギュラーである向日も忍足もこいつを気に入らないと言っていた。
一般部員達もこいつには決して近寄ろうとしていなかった。
そして、さっきのアレだ。
こいつに味方しても百害あって一利なしだ。
なのに、何故俺は・・・・・・
言うだけ言って立ち竦んでしまった俺の方にがゆっくりと顔を向ける。
光が反射していて眼は良く見えなかった。
が、やっぱり泣いていたわけではなさそうだった。
はゆっくりと立ち上がる。
そして、俺の前に何かを突き出す。
泥まみれのタオルだった。
「これ、宍戸先輩のなんですよね?」
「あ、あぁ・・・・・」
何かに押され、俺は戸惑い気味に返答だけした。
「これ、貰っても良いですか?」
彼は無表情でそう言った。
一瞬の沈黙。
そして。
意識するより前に、俺は笑っていた。
「何だ、お前冗談だろ?そんな汚いタオルをどうするつもりだよ?」
俺のその言葉には一瞬動きが止まった後、ゆっくりと顔を下げ、手に持ったタオルに視線を留めた。
「いや・・・・・何となく。」
『何となく?』俺は思わず心の中でそう叫んでいた。
何となくで、こんな可愛いキャラクターが描かれている訳でもなければ、有名なブランドのタオルというわけでもない、極めつけにこんなに汚れていてボロボロのタオルを欲しがるヤツなどいるのだろうか。
冗談で言っているのかと思って笑ったが、彼の表情を見ていると、どう見ても冗談で言っているようには思えなかった。
「どうせ、このタオル捨ててしまうんでしょう?だったら俺が貰っても良いじゃないですか?」
「まぁ・・・・・・・そうだが・・・・・」
こんな泥まみれでボロボロにされてしまったタオルなど、確かに二度と使うことはないだろう。
もし使うとしてもせいぜい雑巾にするくらいだ。
だが。
の言動は不可解でどうしても素直に彼にあげようと思うことは出来なかった。
「あー。もしかして、このタオル売り飛ばされるんじゃないかとか思ってます?」
「なっ・・・・・」
確かに氷帝レギュラーの私物が結構な値段で売り買いされていると忍足から以前聞いたことがあった。
だが、今そんなことを微塵も考えていなかった俺は自分が汚い人間だと言われたみたいで、何だか無性に腹が立った。
「誰もそんなこと言ってねーだろうが!!」
「心配しなくても、このタオル売り飛ばす訳じゃないです。何なら毎日売り飛ばしてないか確認のために宍戸先輩のところに見せに行きましょうか?」
「だから!!!」
全く話を聞かずに勝手に話を進めていく。
「本当に別に悪いことを考えている訳じゃないです。ただ、このタオルが気に入っただけです。」
「だから、そんなこと言ってねぇって言ってるだろうが!!!」
話も聞こうとせず、冷静に話を勝手に進めていくに俺は、大声で怒鳴りつけたと同時に、目の前に差し出されたままの俺のタオルを握っているの手首を思わず掴む。
細い・・・・
いや
細過ぎる手首だった。
「痛いんですが・・・・・?」
彼は無表情のまま淡々と呟く。
が、俺の耳には入ってきてはいなかった。
不意に香ってきた甘い匂いに俺は一瞬気が遠くなるような気がした。
甘い甘いお菓子のような匂いだと思った。
一人で話を進めていくを制止するために掴んだ手首だったが、
俺が発した一言目は、
「お前・・・・・飯ちゃんと食ってんのかよ?」
だった。
もしかして、こいつの家はとんでもなく貧乏なんだろうか。
馬鹿な俺は勝手にそんなことを考えていた。
そんなことを思ってしまったせいだろうか。
「そのタオルお前にやるよ。」
俺の口は勝手にそう呟いていた。
俺の思考を読み取ったのだろう。
は一瞬酷く不愉快そうな顔をした。
だが、
「ありがとうございます。」
とだけ言って、彼は俺の方に差し出した手を下ろす。
俺も手も自然と彼の手首から離れていった。
「宍戸先輩。今日の仕事は粗方片付け終わったので手伝って頂かなくても結構ですよ。お気遣いありがとうございます。」
「だったらお前も一緒に帰ろうぜ。お前も正レギュラーの部室を使うんだろ?」
の目がわずかに見開かれるのを見た気がした。
だが、本当に驚いているのは
俺だ。
本当に今日は自分の言動に驚かされてばかりだ。
何でこんなよく分からない男に、俺は普段かけないような優しい言葉をかけているのだろう。
「俺はあと少し仕事が残っているので・・・・」
「だったら、俺もそれ、手伝ってやるよ。あと少しでも2人でやればもっと早く片付くだろ?」
「いや・・・・・・。」
彼は何かを少し考えているようだった。
口元を押さえ、少し顔を背けるようにして軽く俯く。
「何か都合が悪いのかよ?」
黙ってしまった彼に、俺は何か変なことを言ったのかと少し不安になり、思わず尋ねた。
すると、は顔を上げ、少し口端を上げコチラを見る。
「いえ。俺はレギュラーの皆さんに嫌われているようだったので、そんなに優しくして頂くのがとても不思議で。もしかして何か企んでいるんじゃないかと・・・・。」
そう言うと、彼は一度わずかに首を傾けるよう頷いた。
「先輩を手伝わせるのは申し訳ないですので、今日は俺も帰ります。」
俺が前を歩いて、少し後ろからが付いてくる。
俺たちは部室まで帰るまでの間一言もしゃべることはなかった。
無言の空間がとても痛くて、
俺はすでに彼に声をかけてしまったことを
後悔しつつあった。
部室の扉の前に立ったとき俺の口からは自然とため息が漏れていた。
すぐ後ろに立っているには当然そのため息が聞こえているだろうが、彼はわずかに視線を動かしただけで何も言うことは無い。
安心して、気が抜けていた俺はすっかり『アノコト』を忘れていた。
だから俺はただこの嫌な沈黙から逃れたくて焦って扉を開けた。
早くだれかとしゃべりたいと思った。
扉が開いた途端、俺の目には椅子に座って本を読んでいる長太郎の姿が目に入る。
「おぅ!長太郎。わざわざ待っててくれたのかよ?」
「あ、宍戸さん帰りなさい。遅かったですね。」
「まぁな・・・・色々とあって。」
そう言って俺は一緒に入ってきたはずのの方をチラッと見る。
『――――――――――――――ッ!』
声にならない叫びが一瞬聞こえたような気がした。
彼は部室に一歩入ったところで立ち止まっていた。
見開かれた彼の目を見た瞬間。
俺は、とんでもないことに気付いてしまった。
彼の視線の先にあるものは。
絡み合う
男と女の姿だった。