前に立つ男の首に両手を伸ばす。




そして、小首を傾げながら上目遣いで見つめる。










キスを迫りながら、





お願い事をする。













すると、男達は私の願いを何でも叶えてくれた。













だから、

頼み事をするのは得意だと思ってたけど・・・・








大切な時にその才能は発揮されない。










こういう時は一体どういう風にお願いしたら良いんだろうか。
















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   29 -amarsi-


















「それにしてもまさか女の子やったとは思わんかったで?」

そう言って、忍足先輩は口の端だけで此の世の者とは思えないほど美しく微笑んだ。










その瞬間私はやっと分かった。

















他の人達よりも私は多くの人間を見てきたと思っていた。




私は広い世界を知っている気になっていた。










だけど、それは所詮箱庭の中でのこと。








一端外に出てしまえば私は小さな1人の人間に過ぎないのだ。













―こんな人見たこと無い・・・・・







私が知っているたくさんの人間は所詮『一部』に過ぎないことを知らしめられた気がした。





この男はヤバイ



私の本能がそう告げていた。

今まで出会った危ない男達とは違うヤバさ。











私は乾いた唇を何度も舌で湿らせると、その震える唇を動かす。




やっとの思いで。








「何を言っているんですか?俺のどこをどう見たら女の子に見えますか?」


「不思議なもんやなぁ。男やと思うとった時は何処からどう見ても男にしか見えんかったけど、女と思って見ると、今では女にしか見えへんわ。」



「だから。何を根拠に・・・・・」


「根拠も何も事実やろ?」



話の核心には触れず、じわじわと攻めてくる忍足先輩に、もどかしくもありそれ以上に腹が立った。




この男は私の反応を楽しんでいる。




それが分かったら、私は発する言葉を失いかけた。






「っっ!もう・・・・・話になりませんね。」


唾と一緒に吐き捨てるようにそう言うと、






忍足先輩は一度目を細め、半ば睨みつけるように私を見た。


















そのまま彼は目を伏せると、ゆっくりと立ち上がり








そして、体が密着するくらい、近くまで彼は私に近付いてくると




「あの夜、お前の瞳を見てからずっとお前の顔が頭から離れん。」

そう言いながら、私の頬にその右手が触れる。





顔の輪郭に沿ってゆっくりと彼の手が撫で上げていく。


ぷつぷつと肌が粟立つような感覚を覚えた。






しかし、そんな私の様子など気にもせず、そのまま忍足先輩の右手は私の眼鏡に触れ、外そうとしていた。







バシンッ









静かな部屋にその音が大きく響き渡る。






無意識のうちに私は忍足先輩の手を叩き落していた。



忍足先輩は叩かれた右手をじっと見ると、呆れたとでも言いたいのか両肩をクッと竦め、軽くため息を漏らす。


少し赤くなった手が、私が物凄い勢いで叩いてしまったことを切実に物語っていた。







けど、謝る気もさらさらない。






私は深く息を吸い込むと


「向日先輩のこと言えないんじゃないですか?忍足先輩はきっとそっちの気があるんですよ。」

それだけ言って、フイッと彼から視線を反らす。






が、彼は全く気にもしていないようだ。






すぐに。

不意に首筋にくすぐったさを感じ私は思わず忍足先輩の方に視線を戻してしまう。





「この髪も何もかも偽もんなんやなぁ・・・・・。」



忍足先輩がほつれかけたボサボサの私の偽者の髪を先ほど叩き落した右手で弄ぶ。




感じたくすぐったさはちょうど首の半分くらいの長さしかない私の髪の先が首に当たっていたことによるものと、

あとは、時折忍足先輩の手が私の首元を掠めていくことによるものだろう。









その行為が何だか物凄く恐くて。








まるで金縛りにでもあっているかのように







私の手は動かない。







見上げたまま動かない私の瞳を、私を見下ろす忍足先輩の冷たい瞳が捕らえる。





その瞬間。










忍足先輩は柔らかく微笑んだ。












「そう言えば、あの手紙に書いた『俺に全てを教えてくれたお前の大切なもの』何のことか分かったんか?」

私の髪を弄びながら、笑い雑じりに言った忍足先輩の言葉に、『そう言えばそんなこと書いてたな・・・・』とようやく思い出す。



その程度だった。








「分かりませんよ。どうせハッタリでしょう。それとももしかして俺の写真集でもくれるんですか?」




私の言葉に忍足先輩は一瞬目を丸くするが、すぐにその目は細められる。


というよりも、彼は笑みを浮かべた。






本当に楽しそうに。



「ホンマに気付いてへんのやな。お前は一体どんな生活送っとんのやろな?」


「俺の大切なものと生活が何の関係が・・・・・・・」


わずかに声を荒げて言いかけて・・・・

















私は口を開けたまま固まってしまう。

















それは

不意に忍足先輩がズボンのポケットから取り出したソレを見てしまったから。









瞬間的だった。











一瞬にして体が芯から氷りついたような感覚だった。



























失念していた。




自分の馬鹿さ加減がありえない。








その顔を見た忍足先輩がククッと声を出して笑い始める。








「その顔はホンマにすっかり忘れとったみたいやな。岳人にあんだけキレて見せたくせに。」




「それはっ!あんたが・・・・・」



「俺の方が気になってこっちまで気が回らんかった?」

『俺に惚れたか』と忍足先輩は楽しそうに笑いを漏らす。



「あれだけ愛しとるコレより気にしてもらえるなんて俺は幸せもんやな?」








今の忍足先輩の言葉の端々から以前のトゲトゲしさが言葉から消え去っているのは確かだ。


けど、その分分からなくなった。











刺々しさが消えて、逆に粘着さが増したというか・・・








とにかく刺々しい言葉よりよっぽど不愉快で、気持ち悪くて・・・


何よりも言っていることが遠回しで無茶苦茶で意味不明だった











だから。








「言っている意味が分かんない。」

という言葉が思わず口から出てしまったのは当然のことだった。








けど、忍足先輩はその言葉を別の意味でとったようで。

「お前が分からんのは『どうして自分が女だってばれたのか』ってことか?それとも『どうして俺がこれを持っとるんか』ってこと?岳人が持っとったはずなのになぁ?」


そう言いながら、首を傾げるようにして私に顔を近づけてくる。













近付いてくる彼の顔。







まるでキスするかのような・・・・













そんな感覚だった。



近付いてくる顔を私は目を見開いて見つめていた。














ぼんやりと、考えていたのは




『綺麗な顔だな・・・・:』ってこと。
















忍足先輩の吐息が私の吐息と混ざり合うくらい近付いたとき、ようやく彼は止まった。







そして。







「両方とも教えたるわ。」

形の良い唇が生暖かい息と共に馬鹿にしたような、侮辱を含んだような言葉を吐き出す。











「まず、この携帯を俺が持っとる理由。





・・・・そんなの俺が岳人から預かったからに決まっとるやろ。」







「・・・ハッ・・・・どうせ向日先輩に『俺から返しとく』とでも言ったんでしょ。」

白々しい忍足先輩の言葉に私は思わず鼻で笑ってしまった。






「大正解。岳人がさすがにヤバイことしてしまったかも・・・・って落ち込んどったからな。俺から謝っとったる、って言うたらすぐに渡してくれたわ。」



「そこまでする理由は何ですか。」


「さぁ?自分でも不思議や。でもなぁ、あの時、眼鏡を外したお前の顔を見た瞬間俺の中で何かが訴えとった。正直、お前のこと知りたい、と思った。」


「そうですか。はっきり言って迷惑ですね。土足で人の生活を踏み躙って・・・・。


でも、不可解ですね。つまり、アナタは向日先輩から俺の携帯を預かった。それを今日俺に返してくれる。そういうことでしょう?それがどうして俺が『女の子』だなんていうことに繋がるんですか?」


私の言葉に忍足先輩はゆっくり私から離れる。








そして、私に背中を向けたかと思えば。

一拍、間を置いて忍足先輩は答えを口にする。








「お前さんの考えとる通り、悪いけどこの携帯の中見させてもろうた。」



それは彼が言うまでも無く、予想できたことだったが、

私は言わずにはいられなかった。







「本当に酷い人ですね。」

だが、私の辛辣な言葉に忍足先輩は困ったように苦笑しただけだ。





「ソレに関しては否定はせん。けど、大人しくてどんなに苛められても淡々と仕事しとるお前があそこまでムキになるモンに興味があってなぁ。」


「それで?」







「メールも何も残っとらんかった。本当に寂しいメールやったな。」




「悪かったですね。」



「いや。らしくて良えと思うで?問題はそんなとこやない。」


そう言って、忍足先輩は携帯を開き何か操作し始める。







その様子を私は黙って見ているしかなかった。










そして。


やっと目的のものを見つけたのか。

携帯を見て、一瞬ニヤッっと微笑むと、



そのまま携帯の画面を私の方へと向けた。












そこにあったのはある男の名前だった。












私の『友達』の中で最も大切な人。






つまり。








最もお金を持っている人だった。














一番大切な『お友達』であり『お客様』。






















まさかその人の名前を出されるとは思わなかった。


体中の筋肉が強張る。








けど、絶対にソレがバレる訳にはいかなくて。

「その人がどうかしたんですか?」




私は無関心を装う。






「この人、あの有名病院の理事長はんやろ?」




「さぁ?知りません。そんなに親しい間柄って訳ではありませんから。」



「よう言うわ。まぁ・・・ええ・・・・・。」

ため息と共に俯き加減にそう呟くと、




彼は予想だにしないことを言ったのだ。


























「この人な・・・・・・俺のよーく知った人やねん。」































「はぁ?」





さすがに驚いて。


きっと何かの間違いだろうと根拠も無く思い込んだ。












だって、世界にはたくさんの人間がいるのに、何で偶々出会った1人と偶々出会った別の1人が知り合いだなんておかしなことになるのだ。


そんな偶然ありえない。








というか、あってたまるものか。






だから。






「詳しく説明させてもらうと、父親の親友。」







淡々とそう言った、彼の言葉が信じられなかった。















だから。


「・・・・・・・・・・・・・・・・嘘だ・・・・。」

思わず素でそう呟いていた。











「ホント。」

軽い口調で言うと、彼は再び私の方に向き直る。



「ほら。何日か前に俺が部活休んで親戚に会うって言うた時があったの覚えとるか?あの時なぁ・・・・この人に会うて来たんや。」















「つまり跡部部長にも嘘付いたってことですね。」

自分で言って、何てどうでも言いコトなんだろうと思った。




跡部部長に嘘付こうがそんなことどうでも良いコトではないか。









だけど。


あまりの衝撃事実に、私はそれしか思いつかなかったんだから仕方が無い。










私の考えていることなどお見通しなのだろう。





忍足先輩は楽しそうに笑う。


「心外やなぁ。嘘なんかついてへんで?父親の親友ではあるけど、俺の母親のはとこの伯父さんでもあるんやから。」








「どれだけ遠い親戚なんですか・・・・・」


「でも、嘘では無いやろ?」








確かに嘘ではない。


でも、本当にこの人はどうしていつも・・・・






「本当にアナタはああ言えばこう言う・・・・・・。」






「お互い様やな。」




「で?その遠い親戚の方に何を聞いたのかは知りませんけど、俺は女ではありません。その人がもし俺の知人と同一人物だとしても・・・・・きっと何か勘違いしているんじゃないですか?そんなに親しい人では無いですからね。」


息継ぎをする間も無いほど物凄い勢いで私は言うと、












「はははははははっ!!」


忍足先輩は理解不能なほど大声で、しかも手を叩いて笑い始める。













「何がおかしいんですか・・・・?」



「いやなぁ・・・この人にお前の話聞こうとしたときもお前と同じように『そんなに親しい人ではない』言うてたんを思い出してな。お互いそこまで関係を隠そうとするってなぁ・・・・逆に『自分達は人には言えない関係です』って言うてるようなもんやで?」








その言葉に私が眉を顰めた。


「何を勝手な解釈しているんですか。お互いに『親しい間柄』ではないと言っているのですから、本当に親しくないんですよ。素直に考えたらそうでしょう?それを、アレコレと相手の言葉の裏を探るような真似して・・・。余程あなたは屈折しているんですね。」



「そやな。確かに。」

呟くようにそう言って忍足先輩は静かに笑い出す。






その笑いが、私の心を一層苛立たせ、




そして、胸を急き立てるのだ。










「さっきから、何がそんなに楽しいんですか!?人を馬鹿にしているんですか。」



「・・・・楽しいもんは楽しいんやから文句言われてもなぁ・・・?」







「だから、何がそんなに楽しいんですか!?」


あまりに苛々してて、益々声がボリュームアップして行く。


けど。







忍足先輩は

私とは裏腹に満面の笑みを浮かべ、







「全て。」





そう言ったのだ。









絶句した私は口を大きく開けたまま固まってしまう。


その口を閉じさせるかのように忍足の右手が再び私の顎に触れる。








「ずっと退屈しとったんや。やっと面白い玩具を手に入れられそうなんやから、邪魔せんどいてや?」



「じゃ、邪魔って・・・・・・・」




何て一方的で自己中心的な意見なのだろう。

しかも、それを私に押し付けようとしている。







一見、冗談に聞えるその言葉が、本気であることは彼の醸し出す雰囲気全てが語っていた。











「ここは強行突破で行こうか?」

そう言って左手―私の顎に触れている手とは逆の手―が私の制服の第一ボタンを引っかくように弾く。





「脱がしてみたら分かるってことですか?」



忍足先輩の口元が歪む。

答えを言うまでも無くその表情が全てを表していた。








私は思わず振り上げそうになった右手を左手でギュッと握り締め、押さえつける。

本当は殴り飛ばしてこの場から立ち去ってやりたかった。






けど、それは今してはいけないことだということはよく分かっていたから。












「この変態野郎・・・・」

小さな声でそう吐き捨てた。







右手を握った左手も、左手に握られた右手も。


両方共、傍から見て分かるくらい震えている。










それに忍足先輩も気付いたのだろう。


微かに鼻で笑った気がした。




「俺かてこんなことはしたくないんや。素直に認めてくれへんか?」

宥めるように言う忍足先輩の声がより一層私の苛立ちを激化させる。













だから、絶対に自分からは認めたりしない・・・・









自分から認めるくらいなら、ここで素っ裸にされてバレた方がまだマシだと思えた。



どちらが良いかなんて、もう判断出来ない。










ただ・・・・


忍足先輩が望んでいること。







それとは逆のことをしたかった。








私の些細な反抗。




今の私は弱者だから。

それくらいしか出来ない。















もしかして、他にも何か良い方法があるのだろうか。













そんなの分からない。






分からないから、こんなにも腹が立つのだ。













目の前で、不適に微笑むこの男の笑顔を崩してやりたい。


絶望のどん底に落とした時の顔を見てみたい。










私の中で徐々にそんなどす黒い感情が広がっていく。





















私は歯を食いしばった。


それは『絶対に言うものか』という私自身への合図。









しかし、忍足先輩も私のその行動に気付いたようで。








『はぁ・・・・』と大きくため息を漏らすと、

呆れたようにわずかに瞼を伏せ、





そして、微かに頭を横に振る。







「一日時間をやる。明日の同じ時間にまたココに来い。もちろんその時までに返事を用意しとき。俺を退屈させん答えを待っとるで?








・・・・・・・・・・もちろん逃げようやなんて思わんことや。」


そう言った彼の言葉は、声音だけで私を縛り付けられるほどだった。










拒絶を許さず、




『お前はもう逃げられん』

そう言われたような気がしたけど、口調はどこか甘い。











そして。






その甘ったるい声に体中の血が凍りついて、息も出来なくなるのだ。












「にしてもお前結構アホやなぁ。一週間以上気付くチャンスをやったのに。携帯を取られたままってことすら気付かんのやから・・・・。」


笑いながらそう言った忍足先輩の言葉に、私は大きく息を吸い、






「ほとんど使わないですから。

だから言ってるでしょう。この携帯への連絡先を知っている人でそんな毎日連絡取らなくちゃいけないほど親しい人はいないんですよ!」



平気な顔して、口ではそう言ったけど・・・心の中では泣き出したい気分だった。








そして、そんな私に忍足がかけた言葉は

全く予想外のものだった。









「親しいか、親しくないかなんてもうどうでもええ。」




忍足先輩はきっぱり、そう言い切った。















「どうでも良いって・・・・・・」



「俺にとって今、大事なことはお前が女であるのに何故か男の格好をしとるかってこと。






それと、













お前は俺を楽しませてくれるか、ってことだけや。」















まるで蛇に睨まれた蛙のように。


金縛りにでもあったかのように。


私は指一本動かすことが出来ず、








呆然と立ちすくしたままコクリと息だけ呑んだ。









そして。


彼は私の顎を掴み、強引に上を向かせると、











「・・・・・もう一度言う。










俺を退屈させんどいてな?」













そう言って、僅かに口元を歪ませた。



















この日・・・・










その言葉を最後に、忍足先輩はこのことに関しては何も口にしなかった。











ただ、お茶を出されて、跡部部長や他のレギュラー達の昔話を聞かされて・・・・







けど、何も耳に入ってこなかった。















気付いた時にはもう外は真っ暗で。




忍足先輩は送ってくれるって言ったけど・・・

















私は、1人で考えたいことがあると言って断った。


















すると彼は笑って










「また明日な。」









と言った。



























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